日本平フェイスブック

特集

トップページ > 特集 > 日本平の万葉の歌碑
水鳥(みずとり)()ちの(いそ)ぎに父母(ちちはは)
物言(ものは)()にて(いま)(くや)しき

4337 (有度(うど)(べの)(うし)麻呂(まろ))
万葉の歌碑 防人として故郷を旅たつにあたり、両親への別離と感謝の気持ちを詠んだものとされているが、防人としての急な出立を余儀なくされた作者の有度部牛麻呂の心情が伝わる。慌しい中、父母とゆっくり別れの言葉を交わすことが出来ず、心残りのまま旅立ったものと見られる。

 行先は九州の大宰府。任務は3年と決められていたが、再び故郷に戻ることの出来ない者も多くいた。野宿を余儀なくされ食べ物すら十分でないひもじい過酷な旅。しかし、それ以上に父母と二度と会えなくなる辛さが身を切る。

 牛麻呂が暮らしていたとされる有度山(山頂を「日本平」と称される)の一角に、富士山を背に歌碑が設置されているが、この歌碑は82歳だった書家の青山於莬が戦争で亡くなった息子を偲んで、大石徳四郎と共に建立されたものであり、歌碑の背には以下のように記されている。

「祖国防衛の任についた有度部牛麻呂の哀歌と、その父母の愛情は千古変わることなく、先の大東亜戦争(太平洋戦争)に愛子をささげた私共を含めて、幾百万の遺族の心に通うものがあろう。」

「祖国防衛の任に就いた有度部牛麻呂の哀歌と、その父母の愛情は千古変わることなく、先の大東亜戦争(太平洋戦争)に愛子を捧げた私共を含めて、幾百万の遺族に通うものがあろう。」
万葉の歌碑 万葉の歌碑

ページの先頭へ戻る

日本平観光組合

静岡市清水区馬走1500-2
電話:054-335-1134(代)  FAX:054-335-8955
(日本平ホテル内)