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野口雨情の童謡「赤い靴」が、世に知られるようになりましたのは、大正十年に雨情が「赤い靴」の詩をつくり、翌十一年に本居長世がこれに作曲し、長世の幼い娘さんたちが、遊びの中で口ずさんだりしていたのが、全国に広がったと言われております。

「赤い靴」のふるさと

「赤い靴の女の子」の実像を求めて

ところでこの「赤い靴」のモデルの実像が明らかになったのは、三十年程前のこと。それは昭和四十八年十一月の北海道新聞夕刊に掲載された、岡そのさんという初老の婦人の投稿記事が発端でした。
私が生まれる十年も前に日本を去った姉、今となっては顔も姿もしのぶよしもありませんが、瞼を閉じると赤い靴をはいた四才の女の子が、背の高い青い目の異人さんに手を引かれて、横浜の港から船に乗って行く姿が目に浮かびます。この姉こそ後年野口雨情が「赤い靴」に書いた女の子なのです。
と、北海道中富良野町に住んでいた、岡そのさん(大正二年生まれ)のこの投稿記事が導火線となって、当時北海道テレビ記者だった菊池寛さんが、執念にも似た熱意で、「赤い靴の女の子」の母親の出身地である清水市を皮切りに、「赤い靴の女の子」の義妹にあたる、そのさんの父親の出身地青森県、野口雨情の生家のある茨城県、北海道各地の旧開拓農場跡、東京、横浜などを五ヵ年余りかけて克明に調査し、ついにアメリカにまで渡って幻の宣教師探しに奔走した結果、「赤い靴の女の子」が実在していたことがわかったのでした。
彼女の名前は岩崎きみと言い、明治三十五年七月に日本平麓の旧不二見村(現在の静岡市清水区宮加三)で生まれていたのです。
きみちゃんは赤ちゃんの時、いろいろな事情で母親に連れられて北海道へ渡ったのですが、母親に再婚の話がもちあがり、三才の時にアメリカ人宣教師のチャールズ・ヒュエット夫妻のもとへもらわれて行きました。
きみちゃんの母親かよは結婚して夫志郎と共に開拓地へ入植し、一生懸命働いたのですが、その努力も報いられず、失意の末札幌へ引き揚げ、やっとのことで小さな新聞社へ志郎が就職しました。同じ頃この新聞社へ勤めることになった野口雨情と志郎は気心も合い、住まいを共にしたこともあって、家族ぐるみの親交が重ねられました。母親かよが、世間話のつれづれに、自分の娘きみを宣教師夫妻に養女にやりアメリカへ渡ったことを、野口雨情に話をしたのが「赤い靴」の詩の原型になったのです。
母かよは、のちのちまで自分の娘きみは宣教師夫妻と一緒にアメリカで、元気に暮らしているものと信じきっており、前記の岡そのさんの投稿記事もそれを裏打ちしていると思います。

きみちゃんはアメリカへ渡っていなかった

ところが菊池さんの調査によって、赤い靴のきみちゃんはアメリカへ渡っていなかったことがわかったのです。宣教師が任務を終えて帰国しようとした時、きみちゃんは不幸にも当時不治の病といわれていた結核におかされ身体が衰弱していて長旅ができず、やむなく東京のクリスチャン系の孤児院へ預けられ、そこで薬石の効なく独り淋しく幸せ薄い九才の生涯を閉じていたのでした。それは明治の終わり頃の四十四年九月十五日の夜、死因は結核性腹膜炎だったとのことです。
このドラマチックな「赤い靴」の人間模様は、北海道テレビのドキュメンタリー番組として制作され、全国ネットで放映されたり、菊池寛さんが著述した「赤い靴はいてた女の子」が赤い靴児童文化大賞特別賞に輝いたりして大きな反響を呼び起こしました。

「赤い靴」のふるさと

きみちゃん母子の里帰りを母子像建設で

こうしたことを背景に、昭和六十年六月から「赤い靴の女の子」きみちゃんと母かよの母子(おやこ)を、八十一年ぶりに故郷(ふるさと)の清水へ里帰り再会させ、母子(おやこ)の永遠(とこしえ)のやすらぎを母子像に託そうと、清水市長を先頭に官民一体となって、建設へ向かっての募金運動が展開されました。この運動はマスコミ関係の協力もあって、燎原の火のようにまたたく間に全国に波及し、昭和六十一年三月三十一日の除幕までの間に、七万有余人という多くの方々から二千万円という浄財と、数多くのメッセージが寄せられました。
多くの人々の熱いまなざしと期待を背に、母子(おやこ)の出生地先の、日本観光地百選コンクール平原の部第一位の景勝地である日本平山頂の一角に、母子像が建立されたことは、母子(おやこ)への最高のプレゼントであり、さぞかし泉下で手を取りあって喜んでくれていることと思います。
また、この像の制作者が斯界でも名声の高い、日展評議員の高橋剛先生で、奇しくもこの母子像が芸術院恩賜賞受賞作品であることも、純粋な心を求める七万有余人の願いに光彩を放ったのであります。
この運動の糸口をつくった、現北海道テレビ制作部長の菊池寛さんが除幕時に発行した当市の記念誌に、「この母子像は私たちにとって最も大切なことを永遠に語りかけてくれるに違いない」と言われておりますが、この証(あか)しとなることを信じてやみません。

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